今年、宗教改革500年をおえてあらたな歩みが始まる。そのことを自覚的に取り組もうとする教会が多い。
日本福音ルーテル教会が日本のカトリック教会と共同で記念の時を刻むことが出来たことは、決してあたりまえのことではない。欧米では多くのところでこの記念を同じように過ごしたところもあるが、宗教改革という歴史を持たないアジアの地域で、この取り組みは今ひとつ自覚的な取り組みになりにくかっただろう。日本では、1984年から両教会の対話委員会が開かれてきていて、洗礼の相互承認も共同での翻訳や出版活動などを行ってきていた。そういう背景の中、欧米でやっているからとか、大きな記念の年だからというのではなく、なぜこのことに取り組むのか、何を目的とするか。そうしたことを丁寧に話し合いながら成し遂げたものだった。
つまり、こうした歩みはルーテルとカトリックの両教会が単に仲良くなろうというということではなく、現代世界への福音宣教のためということがはっきりと確認されてきたことだった。
だとしたら、その記念は決して過ぎてしまえばそれで終わりということではなく、新たな教会の歩みのスタートとなるべきものだろう。もちろん、カトリックとの間での話し合いからさらなる共同・協働などについてもこれから新しい歩みが始まっていくだろう。けれども、やはり自らをどのような教会としていくのか。そのことへの取り組みが是非とも必要。
各地域、また教会でも、そのことを自覚した学びがなされてきている。
私も、このテーマでは今年二回目の講演となる。学びを重ね、また各地域での考えや実践を丁寧につくりあげていくこと、情報を共有することなどとても大切なことと考える。
近く、この宗教改革500年の取り組みの全体の報告書、日本福音ルーテル教会の東教区ビジョンセンターでの連続講演会の記録なども出来上がってくる。こうしたものを改めて学びながら、これからのわたしたちキリスト教会、ルーテル教会の歩みを宣教の脈絡のなかで豊かに味わい、造り出していくものでありたいのだ。