2016-06-11

キリスト教の死と葬儀〜現代の日本的霊性との出逢い〜

 今まで雑誌『Ministry』に発表して来たものを中心に、これまでキリスト教死生学として著してきたものをまとめて出版することとなった。


 私たちの死と葬儀について、実践的・臨床的な視点で教会の牧会を念頭にして書いてきた。死の問題は、私たち人間にとっては、普遍的な問題であるのと同時に、それぞれの文化的宗教的背景、また時代によっても異なる諸相を見せるものだ。伝統的な日本の宗教風土を持ちながらも、現代という科学・合理主義と非宗教化の時代に生きる私たちが直面している死にゆくこと、生き抜くことにおける課題を見据えながら、キリストの福音の持つ意味を深く考えてきたものだ。
 
 もう二十年前になるけれども、アメリカでの学びの機会を得た。まとめた論文は組織神学の分野で、日本人の死生観とルターの死と復活の理解とのコンペラティヴ・スタディだった。私にとって、6年間の牧会生活で教会の皆さんと共に多くの方を主のみもとへと見送ることとなった経験はかけがえのないもので、論文をまとめていく考察の原点になった。その論文そのものは、すこし堅いものなので、今回のように実践的な形でさらに考察を深めたものを皆さんにお読みいただけるようにできたことは、なによりもうれしいことだ。

 『悼む人』の天童荒太氏との対談もう六年ほどまえに雑誌の企画で実現したものだ。ルーテル学院にまで足をはこんでいただいたのだが、やや緊張していたこともあって、その対談内容よりも天童氏との出逢いそのものの方が印象に残っている。久しぶりに、たいへんピュアな魂と出逢った気がしている。あの『悼む人』を書くのに、自ら悼む人となったと言われたことばは重く感じたし、嘘のない祈りが、あの筆を運ばせたのだと、読者を虜にする文章に納得したものだ。

 牧師の牧会の働きのためにも、また、「死といのち」について教会で学び合うときにも、お役に立てたらと願っている。