2014-04-26

ルターセミナー 2014

今年も牧師のためのルターセミナーが企画・準備されている。

             




 昨年から、「宗教改革500年とわたしたち」を基本テーマとして、現代の文脈において500年前の宗教改革の意義・意味というものをもう一度捉え直していく取り組みとしている。所員の発題を絞り、参加者の問題意識を掘り起こしながら、共に学んでいく研究会としようと試みている。毎年、その所員の研究発表は『ルター研究』にまとめられて、秋には出版される。
 今年のサブテーマは「教理問答」だ。ルターの小教理・大教理は共にルーテル教会の一致信条集におさめられ、ルーテル教会の信仰の基本を示すものとなっている。実際「小教理問答」は、現代に至るまでルーテル教会の洗礼・堅信教育に欠かさず用いられてきたものだし、ルターの著作の中では「キリスト者の自由」とともに最も多くの人々に読まれてきた者だと言えるだろう。この500周年の記念事業の出版事業において、新しい翻訳と解説も出版が予定され、すでに準備が進んでいる。私たちの信仰を養う大切なテキストだが、しかし、それをもって何を私たちは自分の信仰の糧とするのだろうか。
 単に、教理的な理解を受け取るとか、500年前からの伝統を引き継ぐということよりも、ルターが時代のなかで、何と格闘し、何を見いだし、何を伝えようとしたのか。その取り組みそのものを感じながら、今ルーサランであること、あるいはキリスト教を信仰するということを現代の脈絡のなかで捉え直し、問い直していきたいのだ。
 今年は、私も研究発表を担当する。いささか準備の時間が取れずに心配だが、私の問題意識を掘り下げていきたいと考えている。
  (下の一覧には、「教理問答に見る諸関係の中の自己〜ルターにおける『私』」となっているがたぶん「ルターにおける『私』、その問題の所在〜教理問答に見る、諸関係の中の自己」というようになるかと思う。)

以下、鈴木浩所長からのご案内を紹介する。
 
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牧師のためのルターセミナーのご案内

                       ルター研究所 所長 鈴木  浩

 主の御名を賛美いたします。
 「宗教改革500周年」(2017年)が近づいてきました。そこで、2017年まで「宗教改革500年とわたしたち」を統一テーマに5回のシリーズでセミナーを開催することにいたしました。今年のセミナーが第二回となります。
 どうか積極的にご参加ください。そして、ご一緒に宗教改革の意義を確認し、来たるべき「500周年」を有意義に迎える備えにしたいと思います。今回も時間にゆとりを持たせ、発題以上に討議の時間を多く取りました。活発な意見交換を期待しています。
 なお、このセミナーは「牧師のための……」となっていますが、毎回、信徒の方の参加があります。関心のお持ちの信徒の方々には、先生の方からご案内いただければ幸いです。
 
 日程:2014年6月2日(月)午後3時から6月4日(水)正午まで
 会場:まほろばマインズ三浦(京浜急行三浦海岸駅すぐ近く)
 主題:「宗教改革500年とわたしたち」(第二回)……ルターの教理問答
 費用:2万5千円(宿泊、食事、資料代込み)
    原則として全期間の参加をお願いしますが、部分参加を希望される方はご相談ください。→ hsuzuki1945@yahoo.co.jp

    
 1.発題と討論

  1.『大教理問答書』における神信仰             ……江口 再起
  2.教理問答の時代                     ……高井 保雄
  3.教理問答に見る諸関係の中の自己(ルターにおける「私」) ……石居 基夫
  4.1917年の宗教改革400周年(日本の諸教会の記念事業とその意義)                              ……ティモシー・マッケンジー
  5.『小教理問答』の「聖礼典における罪の赦しの問題」    ……立山 忠浩
  6.『エンキリディオン』の実践的意味と現場からの問題提起  
                    ……徳善 義和、大柴 譲治、渡邊 賢次
  
 2.説教黙想:司会 鈴木  浩
   説教黙想の対象テキストは、7月13日の福音書日課、マタイ10章16節から33節
  

*「まほろばマインズ三浦」までのアクセスはホームページで検索してください。
*申し込みは直接、ルター研究所(鈴木)まで

2014-04-22

 神学校の聖週間とイースター

 神学校では、今年も、聖週間の礼拝を寮のチャペルで毎日守り、そして、イースターヴィジルを三鷹教会と合同で行った。神学生は、この間もそれぞれ実習教会のプログラムにも加えていただき、イースターの喜びへと連なっていくこととなった。

(写真は、ヴィジルの礼拝での復活のロウソクと洗礼を覚えるための水と枝)
         
 イースターは、毎年日にちが変わること、そして年度の節目と重なることもあってそれぞれ違った味わいを頂くことでもある。今年はちょうど4月の第二週から三週ということで新年度の学び、実習のスタートと重なって忙しいけれども充実した密度の濃い時間を神学生が共に過ごすことができたのではないか。
 
 私自身も、久しぶりに洗足木曜の礼拝を担当させていただいた。神学生とともに祈り、また洗足の式で足を洗い合い、主が私たちに命じられた「互いに愛し合いなさい」とのみことばが、主ご自身の深い愛に包まれ、支えられ、生かされていく恵みのなかに語られたことを受け取ることができた。今、この場所を離れている仲間をも心に留めながら深い祈りへと導かれた。

 やはり共に集い礼拝に与り、祈りを合わせて、みことばに養われることでこそ信仰が支えられ、宣教へと遣わされる一人ひとりがたてられてくる。ただ神学生の学びと研鑽が行われるというのではなく、そうした信仰の共同体として神学校が与えられているということが何よりも大切なことと改めて思う。